荒馬は一体どんなものなの?
「はじめに」
『はねる』をご覧頂きありがとうございます。このブログでは、青森県今別町の大川平地区に伝わる『大川平荒馬』の紹介や、活動内容などを発信していきます。
目次
大川平地区ってどんなところ?
大川平荒馬って?
大川平荒馬の歴史について
荒馬まつりについて
参加者について
「大川平(おおかわだい)地区ってどんなところ?」
みなさんは今別町がどこにあるかご存知ですか?今別町は津軽半島の北端に位置する町で、昨年の3月26日には、北海道新幹線『奥津軽いまべつ駅』が開業しました。人口は3000人ほどで日本一小さい新幹線の町です。大川平地区は、今別町にある人口約500人の小さな集落です。
「大川平荒馬(あらま)って?」
荒馬は馬に扮した男性と、馬を巧みに操る女性がペアで踊るものです。馬が農地を耕す勇壮な姿を表したものです。荒馬と書いて『あらま』と呼びます。百聞は一見にしかずということで次の動画をご覧下さい。
このように、太鼓と笛のお囃子に合わせて、踊り手である馬と手綱取りが踊る(跳ねる)もので、青森県の無形民族文化財にも登録されている知る人ぞ知る伝統芸能です。
「大川平荒馬の歴史について」
歴史については、文献が残っておらず諸説ありますが、大川平荒馬保存会の嶋中卓爾会長はこう言います。
「荒馬とは、昔のさなぶり行事で田植えが終わり、田の神が天に昇るとき、農民が神に加護と感謝をするために催される神送りの行事として伝わってきたもので、今ではネブタと共に8月初旬に跳ねられています。大川平荒馬保存会が伝える荒馬の由来は、天正13年(西暦1585年)、大浦為信が津軽を統一し、藩の経済を保つため、馬と農耕を結びつけ農作物の増収を図ったことが起因であるとされています。農民達は、それまで未開の山野だった土地を、汗とほこりにまみれながら、数少ない馬を頼りに共に切り拓いたそうです。農民達にとって馬は宝であり労力として大事にされ、苦労を共にしてきた馬の働きと勇壮な姿を表し、跳ねられたものが荒馬とされており、約430年にも渡り跳ね継がれてきたのが現在の荒馬です。」
「荒馬まつりについて」
現在は、青森ねぶたの時期である8月初旬に各地区で開催されており、大川平地区では約2時間かけて地区内を練り歩きます。(2018年は8月3日から5日で開催予定)さらに期間中に開催される「荒馬合同運行」では、今別町に伝わる3つの荒馬(今別、二股、大川平)が今別町内で運行され、1度ですべての荒馬を見ることができるためオススメです。
「参加者について」
大川平地区では保存会のメンバーや、こどもたち、そして荒馬を愛してくださる大学生や社会人。
中でも大学生のみなさんは
- 京都府 立命館大学
- 愛知県 名古屋大学
- 大分県 立命館アジア太平洋大学
のサークル活動の一環として毎年約60名が大川平地区に足を運んでくれます。もう10年以上の長きにわたって参加いただいており、みなさまには感謝の気持ちしかありません。また、大学を卒業し社会人となってからも足を運んでくださる方も数多く参加されいます。
地元や県内外の方も参加し世代、性別関係なくみんな楽しまれている行事です。参加に関しましては来る者拒まずでございます。是非お気軽に参加ください。